2013年御翼3月号その2

どんな試練も恵みに―福音歌手・森 祐理さん

 「時々、『まだ東北へ慰問に行っているのですか』と言う方がいますけど、とんでもない、まだ二年。これからだと思います。我慢強い東北の人たちがやっと心を開いてきてくださった。無理にではなく、思いきり、涙を流す機会があればいいと思います」と、百万人の福音のインタビューに応えるのは、福音歌手の森祐理さんである。森さん自身も、阪神淡路大震災で弟さんを亡くしておられる。その体験から、東日本大震災の被災地である東北を何度も訪れ、慰問コンサートを行っている。
 阪神淡路大震災の経験も踏まえ、東北の被災地でも、心のケアが必要になると当初から言われていた。森さんたちは、今、支援者の支援をしようとしている。震災後すぐ、支援活動をしていた自衛隊の人たちは、被災者にとても感謝された。しかし、役所に勤める公務員は、人々の多くの要望を聞いて、そのような業務が当たり前と思われ、感謝もあまりされなかったという。そこで、その方たちに対して感謝をしている人がいる、と伝えようと、歌の贈り物をしているのだ。公務員の方々は、直接の被災者ではないものの、自分の家族が津波にさらわれ行方不明だったりしている。それでも、業務命令で避難所にいなくてはいけないから、ずっと捜索に行けなかったという事実があった。また、職員の方々は、支援物資を配らなくてはいけなくて、全ての住民に配り終えてから、自分が食べたのは賞味期限がとっくに切れたおにぎりだったりした。東北の方はご自分のことはあまり話されない。森さんが何度も慰問に行く中で、やっと最近になって、子どもを亡くしたとか、そんな大事なことを告白されたりするのだ。
 森さんの弟が震災で亡くなった時、父と母の反応はまったく違ったという。母は毎日泣いて、気がおかしくなったようだった。父はその時は涙をいっさい見せず、葬儀の時も喪主として淡々とこなしていた。しかし、何年かたって父のようすがおかしいなと思うようになる。クリスチャンであるが、弟の写真の前に毎朝新聞を置いたり、コーヒーを持っていったりしていた。母は始めは大変だったが、立ち直りも早かった。父は数年たったある時、はじめて母の前で涙を流し、そこから回復していったという。「涙は神様が与えてくださったお薬なのだなあと思いました。心の回復は何年もかかるものなのですよね」と森さんは言う。阪神淡路大震災の時に子どもを亡くしたお母さんたち三十四人へのアンケートによると、震災後いちばんしてほしくなかったことの一位が、「心ない慰めや励まし」だった。例えば、「あなたが悲しんでいると天国の子どもさんも悲しむ」などという、安易な言葉である。また、森さんの母もクリスチャンであるが、人から、「大丈夫、お子さんは天国に行ったから」と言われることが、一番つらかったと言っていた。もちろんいつかは天国に行くのだが、もう少しそばにいてほしかった、というのが正直な気持ちなのだ。でも、結局母が立ち直ったのは聖書の言葉だった。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ十一・二十五)という御言葉である。「だったら息子は死んでない。死んでも生きている、また天国で会える」と再び笑うようになった。聖書のことばには人を癒やす力があるのだ。
 NHKの歌のお姉さんとして活躍し、オペラなども歌っていた頃、声を失うという体験を通して信仰を持った森さんである。また、弟さんを亡くすという苦しみの体験を通して、人の心の痛みを知り、悲しみの中にある多くの方に寄り添って来た。そうなれたことが「恵み」なのだという。「これからもどんな試練が来ようが、それが恵みに変わるのだという安心感、平安の中で生きられるということが、神様と共に生きる良さなんだと思います」と森さんは言う。神を信じるクリスチャンは、どんな困難の中にあっても、そこに神の恵みを見出すことができる。だから、いつでも「マグニフィカート」(あがめる)と神を賛美できるのだ。

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